ペンギンのひとりごと

なんの意味のない文の集まり。

珈琲を淹れるということ

いつだったかのオンライン英会話で「とにかく疲れている。リフレッシュしたい。ONとOFFの切り替えができねえ。」みたいなことを死にそうな顔で溢したところ、「僕は珈琲を淹れることで切り替えてるよ!」と言われた。へえ〜珈琲ですか、いいですねえ。とか返しながら心の中では「そんなことで切り替えられるなら切り替えてるんだわ!!」と思っていた。

 

私は珈琲が好きだ。自分でドリップするし、粉じゃなくて豆で買ってちゃんと自分で電動ミルで挽いてる。

色々器具を揃え、珈琲特集の雑誌を買い、それなりの知識があるはずなのだが正しいドリップのやり方がよくわからない。わかることはとりあえず30秒蒸す、ということだけだ。

世の中にはなかなかに珈琲好きに溢れており、友人にも同僚にもドリップについて語らせたらそれなりの文量で返してくる人たちがいる。そうなった時は終わりだ。なにせ私は30秒蒸らすことしか知らないのだから。

思えば自分はこういうことが多すぎる。大学で勉強したはずの映画の歴史、理論、高校でやってたギター、エフェクターについて。どれも珈琲と同じくらいの知識量しかない。勉強したはずなのに。あと観た映画の内容もすぐ忘れる。

何故だろうか。

多分世の中のありとあらゆるモノへの興味が多すぎるのだ。と、同時に絶望的に興味がない瞬間がある。これらが基本的に私の中で同居しているので、何も落とし込めないままなのだ。多分だけど。

要はキャパが小さいわけなのだが、そのミジンコキャパにとんでもない仕事量が舞い込んきた。今日やっと落ちつかせることができ、一人家で珈琲を入れた。

なんだあ。英会話の先生と一緒だわあ。珈琲を淹れることで落ち着く気がするのは何故だろう。正直淹れてる時匂いもわからんし、適当に淹れるからめっちゃ濃い色の薄い珈琲ができるけど、リセットされる気がする。何故だろうね。